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爛れた夏休み 1

1997年7月23日(水)

大学が夏休みに入った。

毎週数コマの講義をする必要がなくなる長期休暇は、貴重な研究期間だ。
本来なら論文の1本でもまとめるべく勉強しなければならない。

少なくとも、昨年までの私はそうしていた。

しかし、今の私の生活はまったく爛れきっていた。

春から本格的に始めたアナル娼婦の仕事は、自分でも驚くほど順調だった。
顧客ノートに記された名前は、もう30人を越えていた。

しかもリピートしてくれる人がけっこう多い。
永沢さんのように月に3度、4度と買ってくれる人や、東京出張の度に予約してくる大阪の社長さんもいる。

そうしたリピーターに加えて、NTTの伝言ダイヤルにメッセージを入れておくと、たいてい2、3人から電話がかかってくる。
もちろん、いつも交渉が成立するわけではないが・・・。

最初は、金曜の夜から日曜までの週末娼婦のつもりだった。
それがいつの間にか平日でも電話が入れば予約を取るようになっていた。

7月はまだ1週間残っているのに、もうお客の数は16人。
手帳のマークを数えたら、週4日ペースで娼婦をしている。
水揚げは30万円を越え、大学講師の薄給など、軽く越えていた。

今日は水曜日。
水曜日の午後が休診の永沢さんに呼び出され、渋谷の円山町のラブホテルで、まだ日が高いうちから、いつものように後ろ手に縛られて、たっぷり精液を注がれた。

夕方から医師会の集まりがあるとかで、急いで出て行った永沢さんを、黒地に紫の刺繍のコルセット姿でドアのところまで見送る。
シャワーを浴びて、アナルを洗浄し、ゆっくり時間をかけて化粧を直して、ホテルを出る。

「お世話になりました」とフロントの窓口にキーを返す。

やっていることも、気持ちも、もうすっかりプロの娼婦だ。

顔見知りになっているおばさんが「はい、お疲れさん。気をつけてね」と声をかけてくれる。

この3月の末、昼は東京電力のOL、夜は円山町で娼婦をしていた女性が商売中に殺された。
それ以来、この町の人は、少しナーバスになっている。

おばさんから見ても、今の私は、身体を売っている「女」の一人なのだろう。

私は、夕闇が近づいている街へ歩きだした。

(続く)

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ブログの再開

過去の出来事とはいえ、最初からすべてを読ませていただきました。
とても興奮し、夜明かし状態です。
素敵な主様と分かれても、独立して顧客が付き、ハードに調教されて、よりハードルが高くなっていますね。
今後の更新も楽しみにしています。
そして、勝手ながらリンクさせていただきました。m(_._)m

私も自称ですが、アナルマゾと言っていますが、こんなにハードな調教やプレイ体験が無いので、羨望の眼差しです。

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プロフィール

風祭順子

Author:風祭順子
10年前まで、男性として大学講師をしていました。
その後、女装マゾの世界に溺れ、とうとうニューハーフ娼婦に堕ちました。
約8年間、毎週2~3日、娼婦として男性の性欲のお相手をする日々を過ごしました。

このブログでは、「なぜ、私は堕ちたのか?」、そのいきさつを書いてみようと思います。
画像は、4年前の私の姿です。

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