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夏の終わり 3

寝室のダブルベッドに腰掛けて、シャワーを浴びているSさんを待つ。

私は、股間ベルトを外し、黒レースのTバックショーツを着けて、スリーインワンで黒のバックシームのストッキングを吊ったヨーロピアン娼婦スタイル。

ナンパのように誘われて、彼の好みを聞くタイミングがなかったので、いちばん無難なファッションにした。

バスタオルを腰に巻いたSさんが戻ってきて、ベッドに腰掛ける。

私はベッドを下り、膝まづいて、バスタオルの前を開く。

「・・・・」

そこにあったものは、彼の大柄な身体とまったく不釣り合いだった。

私の戸惑いを察知したのか、彼が声をかける。

「小さいだろう」

まさか「はい」と返事するわけにはいかない。

「すいません。ベッドに仰向けになってください」

ともかくフェラをしてみる。
少し大きくなったが、それでも5cm足らずだ。

女性ホルモンの継続投与で、ずいぶん小さくいなった私のものの半分以下だ。
明らかな短小。身体との比率からしたら、病的な小ささだ。

きっと、これまでの人生で、ずいぶん辛い思いをしてきたに違いない。
なんとかしてあげたくなった。

幸い、硬度はまずまず、なんとかなるかもしれない。

私は、ショーツを脱ぐと、彼の腰に後ろ向きに跨った。
いつもなら杭の先をアナルにあてがって、ゆっくり腰を沈めるのだが、今夜はそうはいかない。

逆に、お尻の肉を両手で思い切り開いて、位置を決めて、ぐっと咥え込む。

2度目で、うまく咥え込めた。

でも、動けない。
少し動いたら外れてしまう気がする。

だから、お尻を密着して、息の出し入れで、アナルを収縮させたり緩めたりを繰り返す。

5分足らずで、Sさんが身体を震わせてうめき声をあげた。

「ありがとう。もういいよ」

私は腰を上げる。

シャワーを浴びて、身支度をして戻ってくると、バッグの外ポケットに白い封筒が入れてあった。
中には1万円札が5枚と、携帯電話の番号が入っていた。

私は、PHSの番号を記したカードをテーブルの上に置いて、部屋を出て行こうとした。

ところが、シャワーを浴びて戻ってきたSさんから声がかかった。

「ちょっと待ってて、送っていくから」。

結局、明け方の甲州街道を走って、新宿駅まで送ってもらった。

Sさんは、その後、コーチから二軍監督、そして短期間だが某球団の監督にまでなった。
私との関係は、その間ずっと、私が娼婦を引退するまで、7年間も続くことになる。

(了)

※ イニシャル(S)は、彼の社会的立場を考えて、実際とは違うアルファベットにしました。

夏の終わり 2

「自分、Sと言います」

助手席に乗るなり、男が礼儀正しく自己紹介してきた。
普通なら「お姐さん、いくら?」と聞かれる場面なのだけど・・・。

戸惑いながら、
「じゅんこです。順番の順・・・」

「ああ、順子さんね。弟の嫁さんと同じ名前だ」

まるで普通にナンパされたみたいな感じで、なんか調子が狂う。
でも悪い感じではない。

「順子さん、さっきどこかのラブホテルから出てきたばかりだろう。また逆戻りも変だから、僕の部屋でいい?」

ラブホを出て、すぐに声を掛けられ、またラブホへというパターン、今までにも何度もあった。
でも、初対面でいきなり自宅というのは・・・初めてだった。

どう返事しようかと思っていたら、

「世田谷だから、そんな遠くないから」

そんな会話をしているうちに、車は明治通りから甲州街道に入り、西へ走る。

甲州街道から脇道に入る。
電柱の住居表示に「松原」とあった。
ということは、京王線の明大前駅の近くだ。

車は、いかにも高そうなマンションの地下駐車場に入った。

車を降りて初めてSさんがとても背が高いことに気づく。
9cmヒールを履いている私よりかなり高い。
180cmを楽に越えている。

案内されたのは10階の一室。
広いリビングからは、東京の夜景が美しく見渡せた。
いわゆる「億ション」なのだろうなと思う。

ただ、妙に生活臭はない。
セカンドハウスかもしれない。

革張りのソファーに腰を下ろすと、Sさんが、コップにオレンジジュースを注いでくれる。

なんか間が持てなくて、
「すてきなお部屋ですね」
と私。

「ありがとう。昼間、晴れてれば富士山が見えるよ」

いけない、このままだと、まったりくつろいでしまう。
私は、仕事に来たんだ。

「シャワー、お借りしていいですか?」

バスルームに案内される途中、リビングの隅に飾り棚があった。
たくさんのトロロフィーや記念楯が置かれている。
目に入った文字と、Sという名前が頭の中で重なった。

彼は、私でも名前を知っている、元プロ野球選手だった。

(続く)

夏の終わり 1

1997年8月28日(木)

私は歌舞伎町2丁目のラブホテル街を繁華街に向かってゆっくり歩いていた。

時刻は夜中の1時。
暑く長かった夏だが、さすがに8月も末になると、夜風はもう秋の気配が濃くなる。

今夜のお客は、常連の某大学の助教授の峰崎さんだった。
1回目は必ず早漏で、1時間近く休憩した2回目はやたらと長くしつこい。
今夜も1時間延長で、たっぷり中出しされた。

あまり好みの客ではないけど、月末になると必ず予約を入れてくれるので営業的にはありがたい。
それと、一応、大学教員の私としては、所属大学違い、専門違い、とはいえ、同業者に買われて犯されるのは、マゾヒズムを刺激される。

後ろから車が来た。
振り向くと、3ナンバーの大型車だったので、念のため道路の脇に寄る。
すんなり追い越していくかと思ったら、スピードが落ちた。
私の歩調と速度をあわせるような超スロースピード。

運転席の窓があいた。
「仕事の帰り?」
中年のポロシャツ姿の男が声を掛けてきた。
年齢は40代? 窓に乗せた腕は、太くてたくましい。
スポーツマンタイプだなと思った。

軽くうなずく、私。

男が車を止めた。
「もう一仕事する気ない?」

深夜のホテル街を、革光沢のある素材の真っ赤な前開きの超ミニワンピース姿で、大きめのバッグを肩にかけ、尻を振りながら歩いているのだから、何を仕事にしている「女」かは、すぐにわかったのだろう。

私は、運転席の男に近づくと、いつものように、
「わかっているかもしれませんけど、私、ニューハーフなんです。それでもいいですか?」
と確認した。

男は、それには答えず、
「きみ、美人だなぁ。ともかく、車、乗りなよ」
と誘う。

初対面の人の車には乗らないことにしていたが、その誘い方がじつに自然だったので、つい頷いてしまった。

それが、Sさんとの最初の出会いだった。

(続く)

プロフィール

風祭順子

Author:風祭順子
10年前まで、男性として大学講師をしていました。
その後、女装マゾの世界に溺れ、とうとうニューハーフ娼婦に堕ちました。
約8年間、毎週2~3日、娼婦として男性の性欲のお相手をする日々を過ごしました。

このブログでは、「なぜ、私は堕ちたのか?」、そのいきさつを書いてみようと思います。
画像は、4年前の私の姿です。

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