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転身 1

1997年10月

いつの間にか、夏が終わり、肌に秋の風を感じるようになっていた。

私の娼婦ライフは、ますます順調だった。
大学が夏休みの2カ月余りの間、ほとんど娼婦稼業に専念していたせいで、リピーター客が増え、顧客リストも80人ほどになっていた。

もう金曜の夜、土曜の午後・夜だけではさばききれず、日曜日もお客を取ることが多くなった。8月の稼ぎは30万円近くにもなり、完全にアルバイトという範囲を越えていた。

9月の終わりに、新宿5丁目のワンルーム・マンションを、関口社長に保証人になってもらって借りた。
やはり、主な稼ぎ場は新宿なので、時間的に金銭的にも目黒の家から通うのが面倒になってきたからだ。

ほぼ新築に近い4階建てのワンルームマンションの住人は、ほとんどが水商売か風俗嬢のようで、深夜、派手な服装で出入りしても、周囲の目を気にする必要がないのが、ありがたかった。

部屋は、8畳ほどのフローリングで、壁紙が薄いクリームなのが気にいった。
広さの割にクローゼットが大きいのは、利用者の仕事を考えてのことだろう。
それに小さなキッチンとユニットバスが付いていた。

私は、そこを完全に女の子の部屋にした。室内には男を感じさせる物は何一つ置かない。
家具は、折りたためるソファーベッドと、メイク台を兼ねた小さなテーブル。それと、3段の小さな引き出し箪笥。それでもう一杯だった。

引き出し箪笥の上段には黒や赤など色とりどりのブラジャーとショーツ、それにキャミソールやタンクトップ、中段にはお気に入りのコルセットとガーターベルト、それにストッキング、下段には革の股間ベルト、各種のアナルプラグやバイブレーターなどを収納した。

クローゼットには、派手な色柄の挑発的で露出的なワンピースやOL風のスーツまでをズラリと並べた。
引き出しに入りきらなかった革のマイクロミニなどのスカート類や、赤と黒と2セット持っている革の拘束衣も、通気性も考えてクローゼットに吊るした。

この部屋に他人を入れる気はなかったが、誰かが入ってきたら、一目でこの部屋の主の職業がわかっただろう。

この部屋は、週末金曜の夜から日曜の夕方までを娼婦として過ごすために借りた。
しかし、そのうち、週中の夜にも、ここを拠点に夜の街を流すようになってしまった。

(続く)

たいへんご無沙汰しています。
いろいろ多忙で「プレイ日記」の続きがなかなか書けず、申し訳ありません。

今回は、少し趣を変えて、書いてみます。

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娼婦になってわかったこと、それは男性は、ともかくチンポを穴に入れたがるということ。

その穴が、ねっとりした液体に濡れたローズ色の粘膜でできていたらなおさら。

そして、その穴が赤や黒のガーターベルトでふちどられた、白いむっちりしたヒップに開いていたら、もうたまらなくなる。

目の前にそんな穴があったら、たとえ万札2枚,3枚を費やしてでもチンポを入れたくなる。

実際、夜の街角に立っていると、
「このままここに居てくれよな、今、金を作ってくるからさ」
と声をかけてきて、どこかで金を都合して、息せき切って戻ってくるや、穴にチンポを突っ込む、
そんな男がたくさんいた。

あたしの穴は、どうもかなり特別だったみたいだ。

ともかく、伸縮性に富んでいるというか、筋肉の柔軟性が高い。
じっくり開けば、直径7.5cmの超極太プラグを飲み込めた。
だからといって拡がりっぱなしではなく、逆にマイクロペニスに近い小さなペニスも咥えることができた。

筋肉の質が良いのは、8年間で2500本くらいのペニスを受け入れているのに、1度も裂傷や潰瘍にならなかったことからもわかる。

いろいろ遊んでいるお客さんによると、ともかくフィット感が抜群なのだそうだ。

拡張は訓練の成果だけど、柔軟性はどうも体質らしい。

それに、あたしは、自分の穴にチンポを入れてもらうのが大好きだった。
太いチンポを入れられたら、ほんとうに気持ちがいい。

アナルプラグを抜いて、ぽっかり開いた潤滑液が垂る穴に、太いチンポが入ってくる快感は最高だ。
だから、演技ではなくみだらに尻を振り、恥知らずな声をあげて本気でよがってしまう。

よがると、穴が複雑に収縮するらしく、今度は男がうめき声を上げる番だ。

だから、たいていの男は、終わった後に「どうやったらまた会える?」「来週もここにいるかい?」と聞いてきた。

あたしが、股間に穴が1つしかない体なのに、娼婦として8年間も稼げたのは、アナルの性能が良く、ともかくリピート率が高かったからだ。

連続的に、あるいは断続的に8年近く相手をした男性は10人以上いた。

大阪から出張してくる度にホテルに呼んでくれた関口社長、背中の般若の彫りものが忘れられない武田社長、たぶんいちばんたくさんSexしたお医者さんの永沢さん、いろいろなSMプレイを楽しんだ朝倉さん、痴漢プレイ好きですてきなチンポの後藤さん、「通い妻」をした伊勢丹のガードマンで極太チンポの源三さん、そして、野球監督のSさん・・・。

そういう良いお客さんたちには、今でもとても感謝している。
みんな、元気でいるだろうか。

春の夜、ふとそんなことを考えた。


プロフィール

風祭順子

Author:風祭順子
10年前まで、男性として大学講師をしていました。
その後、女装マゾの世界に溺れ、とうとうニューハーフ娼婦に堕ちました。
約8年間、毎週2~3日、娼婦として男性の性欲のお相手をする日々を過ごしました。

このブログでは、「なぜ、私は堕ちたのか?」、そのいきさつを書いてみようと思います。
画像は、4年前の私の姿です。

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