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独立 1

1997年4月12日(土)

家の近くの停留所からバスに乗り、14時少し前、JR目黒駅に着いた。
バス停から少し歩き、目黒通り沿いの約束の場所に立つ。

黒のキャミソールにオレンジ色のカーディガンを羽織り、下は黒のマイクロミニに同色の網ストッキング、黒のショートブーツ。
土曜日の昼間にしては、ちょっと目立つファッションかも。

桜が散ったばかりだけども、今日は暖かく、手に持ったワインレッドのスプリング・コートは着る必要がない。

3月の末に、坂崎さんに雌奴隷契約を延長しないことを告げて別れた。
正月に私に客を取られるようになってから、彼の私への関心は急速に薄らいでいった。
中学校教師とかいう純女の調教に夢中らしく、最初は週1のペースだった客の斡旋も、2月になると間が空くようになった。

ここらへんが潮時かなと思い、話を切り出したら、意外にあっさり承知してくれた。
やはり、彼は根っからの調教マニアなのだろう。

調教があるところまで進み、彼なりの「作品」が出来上がると、興味を失うようだ。

以前、彼は「俺に飽きられても客を取って暮せるようにしてやるよ」と私に言った。
だいたいその通りになったわけだ。

今まで撮影されたビデオや写真については、「処分しておくから」という彼の言葉を信じるしかない。
それから、彼からは何も連絡がない。

坂崎と別れても、正月から始めた週末娼婦は続けるつもりだった。
というか、実は最初の客になってくれた関口社長から「独立」を勧められていたのだ。

社長は、大阪から上京する度に、ほぼ毎回、私を買ってくれた。
2月の上旬、3度目の時だったと思う。

高く上げた私の尻にチンポをゆっくり出し入れしながら、こんなことを言い出した。

「坂崎な、あいつは昔から知ってるんやけど、あんな変態の半端な奴についていても、いいことないで。そのうちどこかのフーゾクに売られてポイや。そうならん前に独り立ちせな。順子の顔とアナルがあれば、十分、やってける。ワシが後ろ盾になったるから、大丈夫や」

私も、伝言ダイヤルで知り合う人が、けっこうお客になってくれるのがわかってきた。
多方面に顔が利く関口社長が後ろ盾になってくれれば、ますます心強い。

敏感なアナル粘膜を擦られる快感に耐えながら、私は「はい、そうしようと思っています」と返事をしていた。

今になって思うと、坂崎があっさり私との関係を絶ったのも、関口社長がなにか工作したのかもしれない。

(続く)

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No title

はじめてやってきましたがハマってしまいました
一気に最初から読んで激しく興奮しています
続き楽しみです

素敵なS様たったのに

調教マニアで、調教がすんだら終わりなんですね。
なんか悲しい気もします。
しかし、その後を引き継ぐ方がすぐ現れるというのは、やはり、それも予定に入っていたのでしょうか。
なんか、凄い。

改造マニアそんも書かれていますが、私も今日最初からイッキ読みしています。

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プロフィール

風祭順子

Author:風祭順子
10年前まで、男性として大学講師をしていました。
その後、女装マゾの世界に溺れ、とうとうニューハーフ娼婦に堕ちました。
約8年間、毎週2~3日、娼婦として男性の性欲のお相手をする日々を過ごしました。

このブログでは、「なぜ、私は堕ちたのか?」、そのいきさつを書いてみようと思います。
画像は、4年前の私の姿です。

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